出雲市塩冶町に鎮座する阿利あり神社。古くは出雲風土記(733年)に記載が見える古社です。住宅街の真ん中にポツンと佇む姿は、住み慣れた人にとっては当たり前に見えるかもしれませんが、これがまた立派なご由緒を持っているんですってば。

 

阿利神社のご祭神

阿遅須枳高日子根命あじすきたかひこねのみこと

この神様は古事記・出雲風土記によると、大国主命の息子として登場。特に出雲風土記では大変手のかかる子だったことが記載されています。詳しくは後に記載します。また、この御本殿の中には2つの合殿が祀られているようです。

 

合殿「加利比賣神社」

加利比賣命かりひめのみこと

この神様はアジスキタカヒコのお妃と記載されていますが、記紀や風土記には登場しません。むしろ出雲風土記ではアジスキタカヒコのお妃は天御梶日女命あめのみかじひめのみことと記載されています。別名を持っておられたのか、それともたくさんのお妃を娶っておられたのか。謎です。

 

合殿「幸神社」

猿田比古命さるたひこのみこと

宇豆賣命うずめのみこと

この神様は古事記に登場するご夫婦の神様ですね。アマテラスの孫にお供として降臨したアメノウズメと、それをお迎えし道案内したサルタヒコ。

 

阿利神社のご由緒

出雲風土記に阿利社と記載され、また延喜式神名帳にも阿利神社と記載されている。また、出雲風土記にはご祭神の御出生に関わる重要な記載が見えます。

-出雲風土記 高岸郷-
群家の東北二里のところにある。所造天下大神あめのしたつくらししおおかみの御子、阿遅須枳高日子命が昼夜となくひどくお泣きになった。それでそこに高屋を造り、御子をお据えした。そして高梯たかはしを建て、昇り降りさせて養育し申し上げた。だから高崖たかぎしという。


つまりここはアジスキタカヒコの産まれた土地!?もしくは幼少期を過ごした土地!?

そして、泣きじゃくるアジスキタカヒコですが、同じ出雲風土記の三澤には「生まれつき言葉を話せなかった」とも記載されています。父上も手を焼いたことでしょう。しかし、そんなアジスキタカヒコも将来は「加茂の大神」と呼ばれ、京都の上賀茂神社に祀られるのですから!

幼少期に多少親を困らせたからって、全然心配いらないのです。大器晩成型だと思って、ゆったり構えて育てましょう。いけない!アラフォーな感じがにじみ出てしまった。。

 

阿利神社の旧鎮座地

このタカギシという名前は現在の塩冶町の大字名「高西」という名前につながっていると考えられるが、これは旧鎮座地の地名。

 

元々は現在の社地から北西へ800mほど行った地に鎮座していたとのこと。訳あって明治15年に現在地に遷座。この地はもともと尼子の武将「吾郷彈正武利」のお社があり、その子孫である吾郷家が管理する土地なのだとか。

どうしてこの地に遷座させたのかは謎ですが、社地は吾郷家からの寄進とされることから、崇敬篤いお方がおられたのかもしれません。

 

阿利神社の境内

御本殿

社殿は大社造り?または大鳥造と思われます。

千木は男千木、御神紋は二重亀甲に剣花菱、社殿は南を向いています。

 

彈正社

吾郷彈正武利命

 

阿利神社へのアクセス

出雲市駅から車で約5分。ただし神社には駐車場がなく、神社の向かいにある駐車場は月極なので停められません。路駐などして一瞬でお参りを済ませるか、出雲市駅から徒歩15分で目指すか。。。

 

まとめ

アジスキタカヒコの幼少時代を伺える阿利神社。吾郷家についてもご由緒が気になる感じです。アジスキタカヒコについてはご由緒が一貫しておらず、書物によってご家族の記述が違ったりで混乱します。

近くにある塩冶神社のご祭神はアジスキタカヒコの息子とされているのですが・・・これがまた古事記には登場しないのです。次は塩冶神社にお参りしてみましょうか。