出雲大社から東へ3.6kmの位置にある阿須伎神社(あすきじんじゃ)は、出雲大社の境外摂社です。

 

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 阿式谷(あじきだに)という場所に鎮座するこのお社は祀られている神様にも不思議がいっぱいです。

 

また、このお社の鎮座する場所自体も非常に意味深なのですが、早速ご紹介していきますね。

 

 

阿須伎神社のご祭神

阿遅須伎高日子根命(あじすきたかひこね)

 

大国主命の長男にあたる神様です。

「ひこね」というのは古事記に記載された呼び名ですが、出雲ではあじすきたか「ひこ」とお呼びします。

 

大和地方に伝わるうちに名前が変わってしまうケースはよくあります。

スクナヒコナやぜんざいなどもいい例ですね。

 

お名前の「スキ」は農具の「鋤」に通じることから、農耕の神として崇敬を集めています。

 

またこのお社には阿遅須伎高日子命に縁のある神様が沢山合祀されています。

 

ご家族神

下照姫命(妹)
天稚彦命(妹の夫)

 

ご先祖の神

伊邪那岐命(神産みの親)

 

農業や植林の神

素盞嗚命大国主命の祖先)

五十猛命スサノオの御子)

 

国譲りと天孫降臨に関係する神

猿田彦命

天夷鳥命(稻背脛命)

事代主命

天穗日命

 

 

阿須伎神社の御由緒

かつてはこの地に同名の神社が38社あったそうです。

どういう理由かは分かっていませんが、現在はこのお社1社を残すのみとなりました。

 

アズキ社という名がついた神社にはアジスキタカヒコ神だけでなく、イソタケルアメノワカヒコなどがお祀りされたものもあったそうです。

  

 

現存する阿須伎神社の位置関係を見てみると、古代の祭場であった弥山(みせん)に隣り合うように鎮座しています。

 

そして、境内にはその弥山を遥拝するお社もあります。

 

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 この阿式谷から弥山には

行者用の登山ルートがあり、その先はなんと三歳社(みとせのやしろ)まで続いているのです!

 

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 また、この遥拝場が向いている方角には弥山、その先には八雲山があります。

弥山の頂上には須佐之男命がお祀りされているそうです。 

 

また、八雲山の山頂から真っすぐ南に降りた位置には素鵞社(そがのやしろ)があるのです!こちらのご祭神も須佐之男命です。

 

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 いまや出雲大社ご本殿よりも人気の高いパワースポット。

長時間過ごされる方が多くてお参りしにくくなりましたが・・・実際には八雲山からのパワーを利用しているのです。

 

八雲山と弥山は古代の祭祀を行う要所だったとお見受けします。

 そしてその場所には須佐之男命が深く関係しているようです。

 

その祭祀の場へ歩いていく上で、阿須伎神社は大事な中継ポイントだったのではないでしょうか?

 

 弥山のふもとにはさらに大事な摂社がありますし。

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 阿須伎神社のご本殿

本殿はを向いています。

 

ご神体はどちらを向いているのかは分かりませんが、出雲大社と同じ大社造りとなっていますので、もしかしたら西を向いているのかもしれません。

 

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そうなると、やはりご神体は

弥山あるいは出雲大社の方角を向いておられるのかもしれませんね。

 

 

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注目していただきたいのは

拝殿としめ縄が違う点です。

 

出雲地方によくある「荒神」と似ていますが、巻いている回数が違います。

 

荒神は8回、もしくは7回半巻きになっていますが、阿須伎神社のしめ縄は数え方によって違いますが、5回もしくは6回巻きとなっています。

 

ちなみに拝殿のしめ縄はこうです。

 

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綯い始めが左側ですから、出雲系と言えます。

 

 

 

 

謎の神「阿遅須伎高日子命」

御祭神のアジスキタカヒコは一体どんな神様なのか!?

調べれば調べるほどに、迷宮入りしていきます。。

 

 

古事記における阿遅須伎高日子命

大国主命と多紀理姫の間にお生まれになり、妹に下照姫(シタテルヒメ)がいらっしゃいます。

 

下照姫の夫は天若日子といって、国譲りの交渉の為に2番目に派遣された神様です。

天若日子大国主命に国譲りの交渉をするはずが、高天原を裏切って、結局のところ処刑されてしまいます。

 

詳しくはこちらの記事に書きました

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天若日子命の葬儀に参列した義兄の阿遅須伎高日子命は、その容姿が天若日子にあまりにそっくりだったため、天若日子が蘇ったと思われてすがりつかれます。

 

すると、阿遅須伎高日子命は怒り

「死人と一緒にするとは汚らわしい!」と剣を抜いて喪屋(お墓)を切り倒し、蹴り飛ばしたのです。

 

 この乱暴狼藉ともいえる態度は一体何を意味しているのでしょうか?

 

古事記ではこの神を賀茂大神(かものおおかみ)という別名で呼んでいます。

 

つまり京都の上賀茂神社のご祭神です。

しかし上賀茂神社では、賀茂大神とは呼ばず、賀茂別雷大神(かもわけいかずちおおかみ)と呼んでいます。

 

ここでは大国主命の御子だとは一言も触れていません。

 

しかし、古事記を通じて読み取れることは、

出雲と葛城王朝との繋がりです。

 

 

出雲風土記における阿遅須伎高日子命

 出雲風土記古事記を意識しているのかどうかは別として謎の説話が多く収録されています。

 

その中でも阿遅須伎高日子命の記述は不思議なのです。

 

「阿遅須伎高日子命は昼夜問わず酷く泣いているので、高屋を作り梯子を据えて、そこを上り下りさせた。それゆえその地を高岸(たかぎし)という。」

 

 という高岸の地名由来神話と、

もう一つ三沢という地名由来神話があります。

 

阿遅須伎高日子命は髭が伸びる年になっても昼夜問わず泣いていて言葉が通じない。大国主命は困ってしまった。

 

ある夜大国主命は夢を見ました。そこでは御子は言葉が通じるようになっていた。

 

目を覚ました時、大国主命は阿遅須伎高日子命に問いかけると「みさわ」と初めて話したという。

 

その場所を問うと、御子は突然駆け出し、石がたくさんある川を渡ったある場所に留まり「ここです」と申し上げた。

 

その場所には湧き水があり、大国主命は沐浴をした。

 

それ以来、出雲国造出雲大社宮司家の祖先)が、天皇の御前で神賀詞(かんよごと)という特別な祝詞を奏上するとき、最初にこの湧き水が禊に用いられるようになりました。

 

地元の妊婦はこの水で育った稲を食さない。それは生まれた子供が言葉に異常をきたすからだと言われている。

 

この神話はスサノオが母を訪ねて泣いていた神話にも似ていますし、垂仁天皇の御子「ホムチワケ」が言葉が通じなかったお話しに似ています。

 

詳しくはこの神社の記事で書いています。

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 出雲風土記では須佐之男命の扱いが小さく、一地方の豪族かのような扱いになっている事も特徴的です。

 

しかしいずれにしても、出雲と大和との間に特別な繋がりがあるからこそ、主人公は違えど似たような神話があるのでしょう。

 

 

まとめ

なぜ38社あったお社が1社になってしまったのか!?

弥山の本当の役割とは!?

阿遅須伎高日子命はいったい誰なのか!?

似たような神話で、主人公が違うのはなぜ!?

 

まとまらないままの記事となってしまいました。。

謎の多き神社ですが、いつの日かこの社から始まる行者コースを歩いてみると、真実が見えてくるのかもしれません。

 

体力に自信のある方はぜひ挑戦してみてくださいね!

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

皆様に良いご縁が結ばれますように!

 

 

 

kunato38
kunato3838@gmail.com

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