まずはこの写真をご覧いただきたい。お分かりいただけるだろうか。。。

 

狛犬さん!そこ乗っちゃダメ!

 

この布宇神社(ふうじんじゃ)は別名を風の宮といい、その名の通り風の神様を祀っています。

風に乗って、偉いところに舞い上がってしまった狛犬さん。。

気を取り直して、神社のご紹介をしていきますね!

 

布宇神社の御祭神

主祭神

大己貴命(おおなもちのみこと)

 

配祀神

素戔嗚尊(スサノオ)

級長戸辺命(しなとべのみこと)

下照売命(したてるひめのみこと)

 

風の宮といいながら、風の神様であるシナトベは配祀神、つまりサブ的な扱い。主祭神はいわゆるオオクニヌシになっています。

実はこれには訳がありまして、この地は古くから『はやし』と呼ばれているのですが、地名由来は出雲風土記にあります。

 

布宇神社の御由緒

 

出雲風土記に見える記述

出雲風土記 意宇郡-

拝志郷。所造天下大神命が越の八口を平定しようとお出かけになったときに、ここの林が盛んに茂っていた。そのときにおっしゃられたことには、「吾が心の波夜志(はやし)」。だから林という。

 

布宇神社がある場所は、現在でも林町と呼ばれています。また越の国とは現在の福井県、石川県、新潟県あたりを指します。

古事記と出雲風土記では、オオクニヌシが越の国へ出かけて行くシーンが記述されており、これは国と国の同盟を結びに行くための遠征と取れます。

吾が心の波夜志とは、「心がはやし立てられる」つまりワクワクしてきたとか、旅立つ決心が固まったという意味でしょう。旅人の背中を押す存在?旅の安全を祈願する場所?

 

 

出雲から越国へは、間違いなく海路を使ったでしょう。

布宇がある位置は内海なので、日本海の荒波にさらされることなく、安全に出発できます。つまり、旅の始まりに航海の安全と、船を押す良い風が吹くことを祈願するにはちょうど良い場所と考えられます。

そして現地の美しい姫、ヌナカワヒメとのラブストーリーに、正妻であるスセリヒメが嫉妬するという神話も残されています。

 

元寇から日本を守った風神様

御祭神としてはサブ的な扱いになっているものの、シナトベという風の神様はかつて日本を守った事で崇敬を集めました。

みんな歴史の授業で勉強したあの元寇(げんこう)です!

 

鎌倉時代中期、モンゴルを中心に国を興した元は西はヨーロッパ、東は朝鮮半島までの大帝国となっていました。そしてついに日本に攻め込みます。それが蒙古襲来、通称元寇です。

非常に大きな大船団でやってきた元軍でしたが、日本軍に苦戦し、沖合に船を停泊している時に暴風に見舞われ、壊滅状態に。もう一度攻め込みましたが、二度目も同じように苦戦し、最後は暴風に見舞われるという事態に・・・

当然、日本の武士が強かったこともあるのでしょうが、この暴風が偶然ではない、風の神様のおかげだ!あれは神風だ!ということになりました。

2度目の元寇から12年後の1293年、『風の宮』の称号が与えられたとのこと。この待遇は伊勢神宮の外宮にある風宮の御由緒にも同じく記載されています。

つまり、全国のシナトベを祀る神社に贈られた称号かもしれません。

 

近隣神社の合祀

寶神社の合祀

祭神:大名持命

享和三癸亥年(一八〇三年)の棟札はあるが、それ以前の由緒は不詳。明治40年6月24日、村社布宇神社に合併許可。

 

根尾神社の合祀

祭神:大己貴命・下照姫命

寶永六年(一七〇九年)の棟札はあるが、明治42年5月28日、村社布宇神社ニ合併許可。

 

これらは布宇神社公式ホームページからの抜粋ですが、どうやら明治期に神社が合併によって再編されていく中で、現在の形となったようですね。これを踏まえると、元々はシナトベとスサノオを祀る神社だったことがわかります。

 

布宇神社の境内

御本殿

 

社殿は出雲系の大社造り、千木は男千木、御神紋は出雲大社と同じ二重亀甲に剣花菱です。

社殿は南を向いています。

 

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)

金山比古命(かなやまびこのみこと)

 

狛犬

非常に繊細に彫られた狛犬さん。職人さんの技術が光ります。この狛犬の先にある隋神門を抜けると、例の空飛ぶ狛犬さんがいます。。

 

まとめ

風の神様を祀る布宇神社。古代にはオオクニヌシが越の国へお出かけになる際立ち寄られ、旅の順風満帆を祈願された。そして中世には元に攻め込まれるという国難から、風の力で国を救った。なんと偉大な神様でしょうか!

新しい事にチャレンジする方はぜひ、順風満帆を祈願してみてはいかがでしょうか?

ちなみに布宇神社公式サイトはこちらです。