【八本杉】ヤマタノオロチ封印の地と氷川神社のルーツとは?

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ヤマタノオロチ神話を追いかける旅。

スサノオに追い詰められたヤマタノオロチはついに、八口の地でその頭を、御代の地でその尻尾を斬り伏せられ絶命します。ついに討伐が叶ったスサノオは、その後どのように動いたのでしょう?

その足跡を追いかけると、そこにはヤマタノオロチを封印した場所にたどり着いたのでした!

ヤマタノオロチ封印の地「八本杉」

ヤマタノオロチ封印の地には八本の杉が生えています。

御由緒には、ヤマタノオロチの八つの頭を埋め、それぞれの頭の上に杉を植えたとあります。

これはヤマタノオロチが再び蘇って民を襲うことが無いようにとの願いが込められています。スサノオと言えば植林を伝えた神様としても有名です。封印と共に杉の植林を伝えたのでしょうか。

玉垣に囲まれた境内には石碑を中心としてサークル状に八本の杉が立っています。その中心で手を合わすとき、太古の昔にあったヤマタノオロチとの合戦に思いを馳せ、遥かな気持ちになります。

この八本杉は斐伊川の氾濫によって何度も消失し、現在立っている杉は明治時代のものだそうです。ヤマタノオロチの神話を暴れ川であった斐伊川の治水事業に例える説があります。

幾重にも枝分かれし、出雲平野を覆いつくす斐伊川は、過去何度も氾濫を繰り返しながらも、何千年にもわたって山から砂を運んできて、出雲平野を形作ってきた経緯があります。現在の八本杉は斐伊川の堤防が完成したことで、もう水没するような環境にはありません。

ようやく封印は完成したということになるのでしょう。。

八本杉の元宮「斐伊神社」

その歴史は紀元前にまで遡るとされており、正確な創建年代は不明です。最古の文献としては、出雲国風土記に樋社(ヒノヤシロ)と樋速夜比古神社(ヒハヤビコノヤシロ)の二社が見えますが、天平時代(710~784年)に現在の斐伊神社に統合されたのだそうです。

しかも斐伊神社と八岐大蛇の頭を埋めた八本杉は同じ境内にあったと伝えられています。つまり斐伊神社はヤマタノオロチを封印する役目を持った神社だったと考えられます。

そして驚きの御由緒として、第5代 孝照天皇三年、斐伊神社の分霊は武蔵国一宮の氷川神社に奉祀されたと伝えられています。つまり、氷川神社の総本宮は斐伊神社ということになります!!

全国にある氷川神社のルーツがここだというのは、現在の社殿からは想像もつきませんが、元々はもっと大きな神社だったのかもしれません。

斐伊神社の御祭神

主祭神

須佐之男尊(スサノオノミコト)

稲田比売命(イナタヒメノミコト)

伊都之尾羽張命(イツノオハバリ)

スサノオとその正妻イナタヒメ、そしてイツノオハバリというのはヤマタノオロチを葬った剣です。イツノオハバリはスサノオが父神であるイザナギから譲り受けたもの。

この剣はかつてイザナミの死因となったカグツチを斬った剣でもあります。火の神様であるカグツチを出産したイザナミは、その時の火傷が原因で亡くなってしまいます。それに激怒したイザナギはカグツチを斬り伏せたのです。

合殿の神

樋速夜比古命(ヒハヤビコ)

甕速日命(ヒハヤヒ)

火炫毘古命(ヒノカガビコ)

ヒノカガビコとは別名ヒノカグツチであり、前述の火の神様です。ヒハヤヒとヒハヤビコは同じ神様を指しており、カグツチが斬られた時に剣の鍔から滴り落ちた血より化身した神様です。

斐伊神社の境内

本殿

大社造で出雲系の男千木。

御神紋は二重亀甲に違え鷹、社殿は南西を向いています。

八幡宮

誉田別尊(応神天皇)

息長足姫命

足仲彦尊

稲荷神社・廿原神社

古那比売命

火守神社

迦具土命(カグツチ)

八本杉・斐伊神社へのアクセス

八本杉と斐伊神社は徒歩2分。

八本杉へのアクセスは最寄り駅の木次駅からですと徒歩15分程度。他の場所への観光も考えるとマイカーかレンタカーでの移動が便利です。

出雲大社からは車で40分程度です。

まとめ

ヤマタノオロチを封印した八本杉と、その場所を守護する斐伊神社。

その大事なお役目を負った神社は、あの有名な氷川神社のルーツであったという壮大さ。

出雲にはこんな、とんでもない御由緒を持った神社がたくさんあります。

ぜひ参拝してみてくださいね。