出雲風土記に登場するイヌ社。のどかな田園風景の中に鎮座する神様について調べてみると、かつて巨大な勢力を築いたと思われる神様が祀られています。

 

伊努神社のご由緒

ご祭神

天甕津日女命あめのみかつひめのみこと

 

この神様は出雲風土記にのみ登場するのですが、夫がとても有名なのです。赤衾伊能意保須美比古佐和気能命あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみことという長い名前!ですが、彼は出雲の国を作った、「くにびき神話の主人公オミヅヌ」の息子とされています。つまりくにびき神の息子の嫁!

そんな由緒あるお家に嫁いだミカツヒメは、この地で何をなさっていたのかというと、風土記に書かれているのはこんな出来事です。

 

出雲風土記  伊農いぬ
出雲郡伊農郷に鎮座していらっしゃる赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の后、天甕津日女命が国をめぐりなさった時に、ここにいらしておっしゃられたことには、「伊農波夜いぬはや」とおっしゃられた。だから、足怒あしはやる伊努という。

 

ミカツヒメは国巡りをしていらっしゃいます。これは風土記に登場する神に度々見られる活動ですが、統治している土地を監視するというよりも、人々が住める場所を探して、いいところが見つかったら開拓するという事が目的なのでしょう。

そしてその国巡りのお仕事が終わったとたん、ミカツヒメの口からこぼれた言葉が、「ああ、あなた・・・伊努の君よ」という夫を想う妻のセリフなのでした。そして足取りが自然と急いでいる様を捉え、足逸ると表現されているのです。全く、おアツい事だよご両人!

 

出雲を統治していたイヌ勢力

ミカツヒメとサワケ夫婦はこのように出雲の国を開拓して発展させていったのですが、なぜそのように解釈できるかというと、かつて出雲風土記が書かれた奈良時代には「イヌ社」とされるお社は出雲大社の東側に12社あったのです。

 

【伊努神社-いぬじんじゃ】平安時代12社あったイヌ社と謎のご祭神

 

さらに興味深いことに、アメノミカツヒメは出雲だけではなく、岐阜県の神社にも祀られ、尾張国風土記にも登場するのです!ミカツヒメとサワケに関係する氏族が岐阜へ移り住んだのか、その時代の出雲が岐阜にまで影響を及ぼしていたのか。想像するだけでもわくわくしてきます。

 

伊努神社の境内

御本殿

社殿は春日造でその背後にはご神体と思われる神木が立っている。
千木や鰹木はなく、御神紋はよく見えないが亀甲紋の様だ。方角は南を向いている。

 

伊努神社境内古墳

本殿の裏には古墳がある。どなたが祀られているのかなどの表記はない。

ネットで見つけた伝承によると、祭神が国土巡行の際この地で薨じられ、ここに神陵を造り、陵前で祭祀を行ったとある。

 

これはつまり、ミカツヒメがここで亡くなったということで、夫に逢う事を願いながら最期を迎えたということになるのでしょう。なんという切ないストーリー。現代ではこの地から、サワケの住む伊農の地までは車で30分もかからないのに!古代では国巡りも相当な労力だったのでしょう。命をかけて国を拓いた神々に感謝しかありません。

 

蘆高神社

ご祭神

赤衾伊努意保須美比古佐和気能命あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと

 

伊努神社の東側には蘆高あしたか神社があり、ミカツヒメの夫であるサワケが祀られています。創建年代は不詳とのことですが、伊努神社が妻の神陵であるならば、その近くに夫も祀ったということなのでしょうか。

実はこのサワケ、オオクニヌシのお父さんか叔父さんにあたる方なのです。

古事記によると、オオクニヌシのお父さんは天冬衣あめのふゆきぬ、お爺さんは国引きの神である淤美豆奴おみづぬという事になっています。出雲風土記では淤美豆奴神の息子は赤衾伊努意保須美比古佐和気能命しか登場しません。フユキヌ=サワケなのか、サワケはフユキヌの兄弟なのか。

 

蘆高神社の境内

御本殿

社殿は大社造り、千木は男千木、御神紋は丸に菱形、菱形のまわりには四つ割りの花弁を思わせるデザインがある。

 

剣花菱じゃないのも珍しいかも?

 

稲荷神社

 

社日碑

 

 

伊努神社と蘆高神社へのアクセス

一畑電鉄の一畑口駅から車で約7分。伊努神社から蘆高神社までは田んぼのあぜ道を突っ切って歩くと約5分です。

 

蘆高神社の入り口は川が流れています。駐車場などはありません。

 

川沿いの道路脇にわずかながらエスケープゾーンがあるので、路上駐車することは可能。通りが少ない道ですので大丈夫でしょう。

 

まとめ

かつて大きな勢力であったイヌ勢。その代表たるサワケとその妻ミカツヒメ。夫の志を支えるべく、国巡りを行ったミカツヒメだったが、夫に逢いたいという言葉を最期にこの地で亡くなりました。御神陵の周辺には豊かな農地が広がり、ミカツヒメが開拓した地は後世の人々の暮らしを創った事が分かります。