出雲市斐川町の荘原にある神社。

出雲では珍しい天照大神を祀っています。色々調べても詳しい文献が出てこない謎のお社なのです。まだ調査中ではありますが、分かったところまでを記載しておきます。

 

伊勢宮のご由緒

江戸時代に書かれた雲陽誌に伊勢宮に関する記述がみられます。

雲陽誌-下庄原-

伊勢宮 内宮外宮をあわせまつる、本社二尺に三尺・拝殿一間半に二間、鳥居あり、祭日九月朔日七座の神事あり、勧請建立年しれず

下庄原という地名はなく、上庄原という表現は残っています。直江にも上直江と下直江という記載がみられ、どうやら出雲大社に近い西側の地区を上と呼び、東側を下と呼んだのでしょう。その意味でこの伊勢宮がある地域を下庄原としていたのでしょうか。勧請年代は不明としていますが、内宮と外宮を合わせ祀るとしています!

 

伊勢ノ宮神社のご祭神

天照大御神あまてらすおおみかみ

豊受大御神とようけのおおみかみ

 

伊勢の内宮と外宮を合わせ祀るという事は、アマテラスとトヨウケをお祀りしているということでしょう。しかし御本殿に掲げられた棟札には「恵美須神社」の表記も。これは雲陽誌には書かれていないので、近くにあった恵美須社を合祀したということと推察します。

 

伊勢ノ宮神社の境内

謎の石碑1

高瀬山鎮座 玉柏常磐神

慶應三年十一月十二日勧請

 

謎の文字が刻まれた石碑。高瀬山に鎮座する神とされている謎の神。確か高瀬山に降臨して、高瀬山の名前由来になった「高清水」という言葉を残したのは、神代神社のご祭神 宇夜都弁命うやつべのみことだったはず。玉柏常磐神とは・・・また謎なキーワードを拾ってしまった。高瀬城の城主、米原綱寛を祀った高瀬神社は1910年に学頭諏訪神社に合祀されたとあるから、これじゃないし。

慶應三年とは1867年の事ですが、この時代は新川が開通していて荘原地区の神社は色々と再整理を余儀なくされた時でしょうから。高瀬山にはどなたが祀られていたのだろう。あー分からない。

 

謎の石碑2

大社・素鵞社・金刀比羅宮

 

大社とは出雲大社の事と考えると、素鵞社とは出雲大社の摂社の事でしょう。金刀比羅宮も合わせて記載する事にどんな意味があるのか・・・これも謎ばかりです。

 

謎の石碑3

文字が消えているため、何の石碑なのか全く分かりません・・・

 

社日碑

出雲ではよく見かける五穀豊穣祈願の社日碑

 

伊勢ノ宮神社へのアクセス

JR山陰本線 荘原駅から車で4分。

神社には駐車場がありませんので、隣にある山陰合同銀行荘原支店の駐車場を利用するしかなさそうです。あまり長時間の滞在とならないようにご注意ください。

 

まとめ

雲陽誌の記述のみを頼りに分析をしますが、謎だらけの神社です。出雲では数少ない伊勢の神を祀る神社。高瀬山に鎮座していた玉柏常磐神とは!?またしても謎が深まってしまいました。高瀬山についても再度調査してみないと・・・