スサノオの息子、イワサカヒコの足取りを追う旅。

前回は出雲風土記に記載された恵曇の地を訪ねました。今回はその続編。前回記事はこちらです。

 

いったいどんな神様なのか。期待を抱きつつ松江市の八雲町へ。

 

磐坂神社の参道

鳥居をくぐると、けっこう厳しい道のりが目に飛び込んできます。悪路というよりは、石を積んでくれた人に感謝といいますか・・・こんな厳しい環境に登れるようにしてくださって感謝という気持ちが湧いてきた。石段がなかったら登ることもできなかっただろう。

鳥居があるのは、松江市立八雲小学校の校門側。小学校の駐車場に車を停めさせていただいた。

石段を登り切ったところでT字路にぶつかった。神社へはここを右折して進む。

二の鳥居を見つけると、向こうから日が差してきました。イワサカという言葉は神聖な磐座があることを連想させます。ここから神域なのだと感じます。

まるで山肌をくりぬいて参道を作ったような境内。赤土が多いことから、鉄分を多く含んでいるのでしょう。スサノオと鉄器伝説につながる。スサノオの息子、イワサカヒコも鉄器を扱ったのでしょうか。

趣のある手水石。やっと境内に入りました。

 

磐坂神社の御祭神

磐坂日子命いわさかひこのみこと

スサノオの御子であるイワサカヒコは出雲風土記にしか登場しない神様。そしてイワサカヒコが登場するのは秋鹿郡恵曇あいかぐんえともの地名由来神話のみなのです。

-出雲風土記-秋鹿郡恵曇

磐坂日子命が出雲の国を巡行なさったとき、この地に着いて仰った。

「ここは、地域が若々しく美しい土地である。土地の外見が画鞆えとものようだな。わたしの宮はこの地に造ることとしよう。」

絵に描いたように美しい鞆のような土地だと言っています。鞆とは弓を射るときに使う防具のこと。イワサカヒコは恵曇の地に宮を建てて、我が国とするとお定めになっています。

 

配祀神

國狭槌尊くにのさづちのかみ
伊弉諾尊いざなぎのみこと
伊弉冉尊いざなみのみこと
岩裂神いわさくのかみ
根裂神ねさくのかみ
表筒之男神うわつつのおのかみ

神代七世の最初の神、国狭槌(別名:クニノトコタチ)から、その最後に誕生したイザナギ・イザナミまで。そしてイザナミが火傷を負って生んだカグツチの死によって誕生した神、イワサク・ネサクが祀られています。

ウワツツノオというのはイワツツノオだったと考えると、これもカグツチから生じた神。

イザナミはもともと磐坂神社の北700mの神納山にあった、神納神社に祀られていたそうです。そこには宮内庁指定のイザナミのお墓とされる岩坂陵墓があるのです。

 

磐坂神社の御由緒

出雲風土記には石坂社と記載されています。そして記載されているのは神社名のみ。

神社の御由緒には、ここがイワサカヒコの誕生の地だとされているのだそうです。

磐坂神社の地、つまり八雲町岩坂 の地で誕生されたとすると、成長されたイワサカヒコが自分の住まう国を探し、鹿島町恵曇のあたりまで歩を進めたということになります。

磐坂神社の周辺にはスサノオが結婚したとされる八重垣神社や須我神社がありますが、須我は決して近いわけではありません。。また、スサノオを祀るという説が有力視されている熊野大社があります。

この道をずっと南に行くと奥出雲、つまりスサノオが降臨したという伝説の地。たたら製鉄が栄えた地にたどり着きます。イワサカヒコの伝説はこうした奥出雲から恵曇の浜へ向かったルートに位置していると考えると、鉄器や木材の輸出ルートと考えることもできますね。

 

磐坂神社の境内

ご本殿

社殿は大社造り又は大鳥造り、千木は男千木、御神紋は二重亀甲に大の字、法学は東を向いています。

亀甲に大の字は熊野大社の御神紋ですが、こちらは二重亀甲。

 

稲荷神社

 

謎の祠と稲荷神社

 

謎の祠

 

建雄神社

御祭神は記載されていません。

建雄神社の前には牛と思しき石像が。という事は菅原天神様なのでしょうか?

 

天満宮

と思ったら天満宮は別にありました。

二つの稲荷、二つの天神?

 

社日碑

 

荒神様への参拝ルート

二の鳥居を出ると参道でこのような分岐点がでます。右へ行くと一の鳥居の方向で、例の厳しい石段です。

これを曲がらず、真っすぐ歩いていきます。

 

すると舗装された道に変わっていきます。お墓が見えてきますが、これは磐坂神社の社家のお墓と思われます。

 

さらに歩いていくと右手側にこのような荒神様が出現。

 

荒神様の背後にある木はすごい気配を感じます。

 

人間の肌を思わせるその表皮は、生命力の現れでしょうか。木とは思えない感じがします。

この道をさらに歩いていくと、社家と思われる民家にたどり着きます。

 

磐坂神社へのアクセス

松江駅から車で約20分。駐車場はありません。一の鳥居の前にある八雲小学校に停めさせていただくのがよいでしょう。

 

まとめ

イワサカヒコの足跡を追ってたどり着いた磐坂神社。そこには神社ができる以前から荒神信仰などがあったと考えられます。奥出雲から日本海(恵曇港)へと続く道にはスサノオ伝説、そしてその息子であるイワサカヒコの伝説ができたのでしょうか。イワサカというのも人の名前というより、場所を指す名前のようにも聞こえます。

船に乗ってやってきたというスサノオは、出雲の国に製鉄と植林の技術を伝えたと日本書紀にあります。そして、その始まりの地は奥出雲の船通山。そこにはたたら製鉄があり、製鉄のためにはたくさんの薪を使って火をおこします。木の資源が枯渇しないよう、たくさんの木を植えたのでしょうか。

イワサカヒコの伝説はそんな船通山から日本海へ向かって下っていくルートに点在していました。イワサカヒコ以外にも古事記には書かれていない、出雲風土記だけに書かれたスサノオの御子たちがあります。彼らにもスサノオの活躍に関係したストーリーがあるのでしょうか?これからまた調べてみたいと思います。

 

※出雲風土記にはスサノオの御子として五柱の神様を挙げています。

  1. 青旗佐久佐日子命(アオハタサクサヒコノミコト)
  2. 都留伎日子命(ツルギヒコノミコト)
  3. 衡鉾等乎而留比古命(ツキホコトオテルヒコノミコト)
  4. 磐坂日子命(イワサカヒコノミコト)
  5. 国忍別命(クニオシワケノミコト)
  6. 和可須世理比売命(ワカスセリヒメノミコト)
  7. 八野若比売命(ヤヌノワカヒメノミコト)