【隠ヶ丘】スサノオ最期の地?古事記に載らない結末とは?

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出雲大社から北西に9km。日御碕(ひのみさき)という高台には素戔嗚尊(スサノオ)の終焉の地と呼ばれる遺跡があります。

それが今回ご紹介する神蹟 隠ヶ丘です。

古事記や日本書紀には載っていない、スサノオの最期とはどんなものだったのでしょうか!?ミステリー好きな方にはたまらないストーリーと共にご紹介しましょう!

神蹟 隠ヶ丘の歩き方

日御碕灯台の駐車場に車を停めて、坂道を下っていくと左手側に入口が見えてきます。

参道は舗装されており、非常に参拝がしやすくなっています。

二つ目の鳥居をくぐったあたりで稲荷神社が登場。

鳥居は全部で四つ。五つ目の鳥居があったと思われますが、現在は基礎石を残すのみとなっています。これは鳥居が腐ったのか、もともとは四つであり、四つ目の鳥居を作り直しただけなのか・・・

参道は緩やかに右カーブを描いており、鳥居をくぐるたびに別世界へと入っていくような感覚になります。

四つの鳥居をくぐると隠ヶ丘に到着します。

木漏れ日が美しい、神聖な場所です。

よく見るとこの遺跡は大きな岩であることが分かります。やはり磐座なのでしょう。遺跡全体が神聖な磐座だとすると、その上を歩いていくのも気が引けます。

神蹟 隠ヶ丘の御由緒

出雲の国造りを終えたスサノオは仰いました。

私の魂はこの柏の葉の泊まるところに住もう

そしてその柏の葉がひらひらと舞い降りた場所が、ここ隠ヶ丘だっとされています。終焉の地を自ら選んだスサノオ。

そして天冬衣命(あめのふきね)がお祀りをなさったとされています。古事記によれば天冬衣命といえば、スサノオの5代孫であり、大国主命の父という事になります。

そしてさらに隠ヶ丘の御由緒によると、天冬衣命の子孫が日御碕神社の宮司という事になっています。これは色々と混乱してきます。。

ちなみにこの時投げられた柏の葉が由来となり、日御碕神社の御神紋は三つ葉柏となりました。

スサノオの国造りとは

ヤマタノオロチを倒し、天村雲剣(草薙剣)を天照大御神に献上したスサノオは、櫛稲田姫と結婚し須我の地に住まいました。その後は根の国(根之堅洲國)に娘であるスセリヒメと暮らしていました。

大国主命が助けを求めてやってくると、様々な試練を課し、最終的にはスセリヒメを嫁にやり、国造りを任せます。それまではオオナムジと名乗っていた神に、オオクニヌシという称号を与えたのもスサノオなのです。

古事記ではここまでしか記載されていません。

ところが、出雲にはスサノオの最期を記した地が2つあるのです。

その一つがこの隠ヶ丘であり、もう一つは須佐神社です。

須佐神社についてはこちらに詳しく記載しています。

そういえば須佐神社の御神紋も三つ葉柏です。。

隠れヶ丘へのアクセス

日御碕灯台の近くにある遺跡です。日御碕灯台を目指して行くとすぐ行くことができます。出雲大社正門前からバスで30分程度。料金も500円くらいで行くことができます。

灯台から少し下ったところに日御碕神社もありますので、都合よく動くにはマイカーかレンタカーがおすすめです。

まとめ

スサノオの終焉の地にふさわしい磐座であった隠ヶ丘。もう一つの終焉の地である須佐神社と御神紋が一致。スサノオと柏の葉伝説は今後も調べてみる価値がありそうです。

しかし、天から柏の葉を落として場所を占うという、何ともダイナミックな神話は出雲らしくて大好きです。この場所にお参りすると、貴方にはどんな変化が感じられるでしょうか?

ぜひ参拝してみてくださいね!

最後まで読んでくださってありがとうございます!

皆様に素敵なご縁が結ばれますように!

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