兵庫県たつの市に鎮座する野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)。ご覧の通り、固く閉ざされた石門が見るものを圧倒します。

なぜこのように固く扉を閉ざされているのか、それはこの地が野見宿禰の最期の地だから。そう、ここは古墳と呼ぶべき場所なのです。

 

野見宿禰神社の御祭神

野見宿禰(のみのすくね)

 

宿禰とは天武天皇の時代に定められた称号の一つ。八色の姓(やくさのかばね)という称号ランクの上から三番目。宿禰の上には真人(まひと)と朝臣(あそん)があります。つまり天皇から見た時に、側近ナンバー3という意味ですね。

 

野見宿禰とはどんな人?

野見宿禰は相撲の始祖

時は第11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代、宮中には向かうところ敵なしという力自慢の猛者がいました。そのなも当麻蹴速(たいまのけはや)。

あまりに強すぎたケハヤは大和の国では相手をする者がいなくなってしまいました。そこで「出雲に強いものがいるらしい」との噂を聞きつけた天皇の側近たちは野見宿禰を呼び出します。

ケハヤと野見宿禰の勝負はあっけなく終了。

それどころか当麻蹴速の腰を踏み折り、殺してしまいます。

あまりの強さに垂仁天皇は感服され、以後垂仁天皇に仕えることとなったのです。

また、野見宿禰と当麻蹴速の一戦は相撲の原形を生んだのです。

このことから野見宿禰は相撲の始祖として信仰されています。

 

野見宿禰は土師部(はじべ)の始祖

野見宿禰が生きていた時代は古墳時代。もちろん古墳づくりが盛んに行われていた頃です。

天皇が崩御なされるときまって大きな古墳が造営されました。

 

第10代崇神天皇の御子、倭日子(やまとひこ)は古墳に人垣古墳の周囲に人を生き埋め)を立てました

これにより人々は怯え、丁度その頃、疫病が流行するなど、社会情勢も不安定だったこともあり、古墳を作ることに抵抗感が生まれました。

崇神天皇は宮中でお祀りしていた天照大神を神社を建ててお祀りし、三輪山に大物主をお祀りするなど、呪いを消すためにいろいろな事が行っています。

 

そして第11代 垂仁天皇の御代、皇族が亡くなって、古墳をどうしようかと悩んでいたところに登場した野見宿禰。

なんと、人垣の代わりに人の形をした埴輪(はにわ)を埋めることを提案します。この提案に、またもや感服された垂仁天皇。

野見宿禰を埴輪作りのリーダーとした「土師部(はじべ)」を組織するようお命じになります。

以後、古墳づくりとともに埴輪の製作は進められ、民の命も失われずに済んだのでした。

 

野見宿禰は出雲大社宮司家の先祖

出雲大社の宮司さんは天照大御神(アマテラス)の息子である天穂日命(アメノホヒ)を始祖としています。大国主命が天照大御神に出雲の国を譲って以降、ずっと天穂日命の子孫が出雲大社の祭祀を行っています。

そんな宮司さんは神話の時代から出雲国造(いずもこくそう)と呼ばれ、祭祀だけでなく出雲の政治的な事も取り計らってきました。

そんな出雲国造の第13代目が野見宿禰なのです!現代の宮司さん、千家さんの家系図には第13代目に襲髄命(かねすねのみこと)というお名前で登場。襲髄命は野見宿禰の別名と伝えられているそうです。

 

野見宿禰は菅原家と毛利家の先祖

さらにすごい血統につながっていきます。野見宿禰はなんとあの学問の神として有名な菅原道真公をはじめとした菅原家、そして西日本で武勇を轟かせた毛利元就をはじめとする毛利家のご先祖様でもあるのです!

もうすごすぎて、何が何だかですよね。。

 

野見宿禰神社の御本殿

社殿は全て石で出来ていますが、出雲系の神様なのに、流造っぽいフォルム。

御神体は鏡なのでしょうか?扉の前に鏡っぽいものが貼られています。

 

近くまで歩み寄る事ができませんでしたので、詳しくは分かりません。

※実際には裏から歩いて登れるのですが、あまりに不敬なので遠慮しました

 

社殿は南東の方角を向いています。この方角にはたつのの街並みが一望できます。

これだけ高い位置という事は、当然ながら参道も坂道になるのですが。。健脚の方にしかお勧めしにくい参道です。。

 

野見宿禰神社の参道

参道入口

龍野神社の横にある参道を上がっていきます。

 

力水-ちからみず

相撲の神様ということもあって、たくさんの力士が参拝なさっています。参道途中には力水と書いてある、手水舎と思しきお水が流れ出ています。

ここで手を清めて参拝すると、剛力無双になるのかも・・・?

この側の石に力強く「力水」と刻まれた文字は第四十四代横綱 栃錦の直筆とのことです。

 

参道のつづき

山全体が石を多く含んでいるのか、参道も小石でいっぱい。大変滑りやすいです。舗装された階段があるからこそ、なんとか歩いて上がれる感じ。

 

最後の試練-階段

力自慢の人は走って上がりましょう(ぇ

この石段を上がる頃には息も上がって、太もももパンパンになっているかも・・・

 

 

野見宿禰神社の御由緒

龍野の地名由来

大和国から出雲国へ帰る途中だった野見宿禰はこの地において病死しました。多くの人が野見宿禰の死を悲しみ、出雲から多くの人が野見宿禰のお墓を造営するために訪れたのだそうです。

出雲の人々は川から石を拾い、野に並んだ人々が手渡しで運んだ、その姿はいつまでも野に立ち尽くし、立つ野と呼ばれ地名の由来となったそうです。

 

ちなみに現在の神社の形式ができたのは明治時代だとか。

ネットで調べた情報ですが、明治15年(1882年)に出雲大社の千家尊福氏が野見宿禰墓の所在を訪ね来て、明治36年に整備が始まったそうです。

 

つまり、古墳時代に野見宿禰のお墓を作った事が龍野の地名となったが、その後古墳の存在が分からなくなり、明治時代に場所を特定してお祀りしたというところでしょうか。

 

それにしてもなんと重たい扉でしょうか。これでは封印という言葉を思い浮かべてしまいます。

お墓という性質を考えれば墓を荒らされたくないということもあったのでしょうが。。

 

相撲会の守り神

相撲で頂点を目指す方が崇敬して止まない野見宿禰。神社の境内には明治から大正にかけて日本の相撲ファンをわかせた、八十四名の力士や行司が寄進した玉垣があります。

千代ノ山、吉葉山、若乃花、栃錦、大鵬、柏戸、佐田山、朝潮、栃ノ海など有名力士が地方巡業に来た際、角道隆盛を祈願したとのこと。

 

 

野見宿禰神社へのアクセス

最寄り駅はJR本竜野駅から徒歩30分程度。タクシーなら約10分です。

公共交通機関が届いていないエリアなので、マイカーかタクシーでのご移動をお勧めします。

 

まとめ

相撲の始祖、土師部の始祖、天皇の側近ナンバー3、毛利家・菅原家の祖先という輝かしいラベルが躍る野見宿禰。その御威光を求めて角会からの崇敬が非常に篤いようです。

お亡くなりになった時には遥か出雲から人々が駆け付ける程の人望。出雲大社の宮司さんがわざわざお墓を整備しにやってくるほどの、現代に続く信仰。一見の価値ありの神社です。

たつの市の街ものんびりしていて、癒し効果抜群のスポットです。癒し旅はぜひ「たつの」へ行きましょう!

 

ちなみに出雲大社の摂社にも野見宿禰は祀られています

【野見宿禰神社】文武両道の神!現代に伝わる由緒正しい血統!

 

 

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